害虫学研究の発足の頃 ― 山崎輝男先生の思い出 大塚幹雄(昭和26卒)

害虫学研究室の最初の卒業生は昭和25年の阿部(旧姓木村:故人)登さん一人でしたが、それから、50周年、半世紀が過ぎたかと思い、かつまた平凡ながらこれまで無事に過ごしてこられたことを思うと、やはり感無量の情を禁じえません。

この機会に害虫学研究室の成立の過程、その後の発展の歴史的経過を記録に残すことが発議され、まことに有意義なことと賛同した次第です。

詳しい研究と教育の概要は歴代の教授が担当するので我々は短い回想録でよいということなので、若干の思い出話を述べることにいたします。

二学年に進むと、間もなく各研究室の三年生が交互に説明に来た。害虫学研究室からは、もちろん、木村さんが来て、自分のやっている研究概要を交えて説明された。当時、私は専攻を害虫にするか園芸にするか迷っていたと思う。ただ、山崎先生の講義を受けて、まだ若い助教授でもあったせいか、大学教授というイメージから来る権威主義的な感じが全くなく、飾り気のない親しみのもてる方だとの印象が残っていたので、まず害虫学研究室を訪ねてみることにした。そこで楢橋(旧姓石井)さん、木村さんといろいろ話し合い、害虫学研究室に入ることにし、山崎先生の登校日に研究室で直接お会いして入室の許可をいただいた。当時先生は農業技術研究所と併任しておられたので大学へは週2回ぐらいの出勤だったと思う。小生に続いて、岩田、関口、鈴木の3氏が入室を許可され同期は4人となった。山崎先生からは、さっそく研究テーマとして「殺虫剤の昆虫の呼吸に及ぼす影響」を決めていただき、アズキゾウムシを材料として、実験を開始した。これは卒業論文であると同時に、先生のご配慮により応動昆の学会で発表する機会を与えられた。初めてのことでもあり、何回も練習したが、非常に緊張した一日でした。

さて三年になると、新たに二年生が6名研究室に入ってきたので、たいへんにぎやかになり、セミナーなども活発に行われるようになったと記憶しています。

卒業送別会を二年生が幹事役となって、研究室で開いてくれたときには、飲みすぎて、酔いつぶれ、一晩実験台の上に寝込んでしまい、皆に迷惑をかけたのも、私には忘れられぬ思い出の一つです。それから卒業生の送別会は教室の恒例行事になり、在京のOBも参加するようになり、まさに山崎先生を中心とする教室の懇親会ともなり、楽しみの一つになりました。

教室での集まりだけでなく、先生のお宅へもずいぶんお邪魔したものである。これは先生と奥様のお人柄で学生や卒業生の訪問を実に気持ち良く歓迎されたので、特に正月には必ず訪問したものであった。先生も私どもも若かりし頃の懐かしくも楽しかった思い出です。

また山崎先生からは農家の圃場で、試験研究の調査をする貴重な経験の機会も与えていただき、それが後に役立つことになったが、誌面の都合で残念ながら割愛いたします。