現実の生物によるタカ・ハトゲームの再現

「タカ・ハトゲーム」は代表的なゲーム理論の枠組みの一つです。いくつかあるバリエーションの中でも最もよく知られているものは、メイナードスミスがゲーム理論についてまとめた本の最初に収録されている、とてもシンプルなバージョンでしょう(メイナードスミスが最初に論文の形で発表したものはもっと複雑なモデルですが、単行本に収録するにあたり思い切って単純化したのかもしれません)。タカとハトの2種類のエージェントが存在する世界で、有限の資源を奪い合うという枠組みですが、闘争のコストに焦点を当てているのが最大の特徴です。必然的に「闘争のコストの多寡により系の帰結が左右される」という挙動を示し、それが行動生態学における思考実験として有用なので今日まで高く評価されているのでしょう。(個人的には、それよりも「個々のエージェントが最適化を行うと系全体としては(常に)最悪のパフォーマンスとなる」という点がとても印象的です)

このように記念碑的なモデルなのですが、単純化されすぎているあまり、タカ・ハトゲームが実際のデータの解析に用いられた例はこれまで一つもありません。実際、メイナードスミス自身が「このモデルが実際の現象の解析に役立つとは思わない」「ゲーム理論の有用性を示すために単純化したものであり、実際の闘争行動を説明するためのものではないから誤解しないでもらいたい」と書いており、上に書いた通り思考実験としてわざと極端に振ったのだろうと思われます。そのせいで誤解を受け、「使えない」という批判を当時は受けたかもしれません。しかし今ではタカ・ハトゲームの現実離れした「使えない」設定は誰もが理解するところであり、もしも現実のデータ解析にこのモデルを使おうとする人がいたらむしろその方が正気を疑われるのは間違いありません。実際、現実の事象に当てはめようとするモデルのごく一部にタカ・ハトゲームのエッセンスが取り入れられることはあっても、そのままの形でリアルデータに適用されることはこれまで決してなかったのです。

タカ・ハトゲームの仮定と現実の動物が異なる最大のポイントは、現実の動物は複数の戦術を混合して使うという点です。つまり、ある時はタカ的にふるまい、別の機会にはハト的にふるまったりするのです。したがってもしタカ・ハトゲームを実際の生き物で再現しようとしたら、同じ種に属しつつも異なる戦術をとる2タイプの個体が存在し、しかもその戦術が常に変化しない、そのような生き物を使わなければなりません。これはかなり実現が難しい条件です。

しかし私たちは、テナガショウジョウバエの闘争性の異なる2系統がこのような条件を満たすことに気づきました。一つの系統はとても好戦的ですが(タカ系統)、それに比べてもう一方の系統は闘争を避ける傾向にあります(ハト系統)。この違いは遺伝的なもので、性質が入れ替わったりすることはありません。

これらの系統を比率を変えて混合した集団を作り、個体ごとに交尾成功率を測定したところ、「タカ個体はハト個体との混合集団ではより多く交尾できるが、タカ個体だけからなる集団ではむしろ減ってしまう」という、タカ・ハトゲームが予測する「闘争のコスト」が観察されました。これは、現実の生物を用いた初めてのタカ・ハトゲームの再現事例です。これを成功させるためには、いくつもの技術的なハードルを乗り越える必要がありました。また、細部を見ると実際にはタカ・ハトゲームとは異なる部分も見つかっています。それらの点については元の論文の解説記事をどうぞご覧ください。