あとがき

楢橋敏夫先生(特別会員、元助手[1950 - 1965]、現米ノースウェスタン大学医学部教授)から、「害虫学研究室第1回卒業生(阿部[旧姓:木村]登氏[故人])を送りだして50年を経過したのを機会に研究室の歴史をまとめてはどうか」とのご提案をいただいたのは2000年のことで、翌年、発起人代表を楢橋敏夫、岩田俊一、松本義明、池庄司敏明の諸先輩と私(田付)の5名とし、多数の同窓会員に研究室同窓会50年史刊行発起人(後世話人)への参加を呼びかけたところ多くの方々の賛同が得られ、刊行企画がスタートした。

さて、第1部「研究室の教育・研究活動の歴史」では、楢橋、池庄司両先生が早期にご執筆くださり、第3部「同窓会員による回顧録」も一部の会員からは締め切り前に原稿を送っていただいたものの、そこから先は思う用には進展せず、世話人の方々にもご尽力いただいて再度投稿をお願いしたりした。いっぽう、まとめ役であるはずの研究室スタッフも折しも国立大学法人化へ向かっての嵐のごとき状況下で種々の雑務に追われてなかなか進められなかった。楢橋先生からは時折電話で進捗状況のお尋ねがあり、その都度汗顔の思いで事情のご説明をした。先生には私の困った顔が良くお分かりだったのではないか。そう思うと今も恥かしさがこみ上げてくる。それでも最後には松本先生から並々ならぬご援助を頂戴したこともあってようやく刊行の日の目を見ることとなった。内心肩の荷が下りた感を味わってはいるものの、ここまで刊行が遅れたことには会員の皆様には何ともお詫びのしようがない。特に早くにきちんと原稿を送ってくださった方々にはただ深く頭を垂れるのみである。その中でもまことに申しわけない事態が生じてしまった。第三部に原稿をいただいていた内田晴男さん(昭和31年卒)が昨年3月、刊行を待たずにお亡くなりになった。深くお詫びをするとともにご霊前に記念誌をお供えして心からご冥福をお祈りしたいと思う。

この間、多くの同窓会員にさまざまな形でご協力いただいた。まず、本刊行のためにご寄付をいただき、また、多忙の中にもかかわらず原稿を送ってくださった会員の皆様に深く感謝申しあげる。発起人・世話人としてお助けいただいた方々は下にお名前を掲げて謝意を表したい。第一期(山崎先生時代)の卒業論文やその他業績に関することでは、当時学生であった先輩同窓会員の方々から様々な情報を提供していただいた。松本先生は終始貴重なご意見をくださっただけでなく、第二部の原稿作成と一部の原稿の査読からワープロ入力まで快くお引き受けください。遅々として作業の進まない私どもを大いに助けてくださった。これらのご協力に対しても厚くお礼申しあげる。 (2005年3月 田付貞洋)

発起人・世話人(敬称略)

楢橋敏夫(編)、岩田俊一、大塚幹雄、早川充、松本義明(編)、三橋淳、池庄司敏明(編)、青木淳一、佐藤直夫、正野俊夫、籐條純夫、永田徹、河野義明、田付貞洋(編)、鎮西康雄、柏田雄三、竹田敏、落合進、松田一寛、山形洋一、佐々木正巳、今埜隆道、石川幸男(幹)、宇垣正志、本田洋、小野仁、服部ゆみ、望月淳、篠田徹郎、田中誠也、金岡淳、安龍濬、薛光烈、深谷緑、戴華国、星崎杉彦(幹)、松尾隆嗣、橋本露亜、齋藤あゆみ (編):編集委員、(幹):編集幹事